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巌流島のなぞ、なぜに負けたといわれる小次郎の流派の名前なのか?①
巌流島の決闘、
小説や映画、さまざまな創作でテーマにされます

巌流島は、現在の山口県にあります
くりふじさんの情報によると
近くのパーキングでは、武蔵定食とかがあるとか
 人間万事塞翁が馬な趣味Blog さまのサイトへ

主人公、二人
宮本武蔵玄信(はるのぶ)さん
佐々木(巌流)小次郎さん
を詳しく

・武蔵さん

今回は、まず、武蔵さん
父は新免無二さん、十手の達人
十手は、丸い鉄の棒に鈎がついてます

刀は、正面から打ち合えば、刃こぼれしてしまうのですが
十手は、どの面から打っても、効果あります
兜の上から叩いても、恐ろしい威力です
そんな父に育てられて、もう英才教育

武蔵さん、創作によってはあまり実力がないとされています
勝つためには、手段を選ばない、というイメージもあります
というのも、武蔵さんは、勝負のときに、素手・木刀・刀、使い分けてます

そのために、勝つためには、相手の弱点をつく、というイメージになったのでしょう
ですが、時代的に考えて、兵法は、色々知ってなきゃ生き残れない時代に生まれてます
戦国時代が終わり、安土桃山時代
から江戸に入る、中間あたり

戦国時代とかは、なんでも使うのが当たり前だったのです、
ちょっと時代遅れですが
槍使いに「まった、剣で勝負してくれ!」
とか、言えないのです

剣術が、独立して学ばれるようになったのは
江戸中期の居合いが流行る頃からです
(街中で、急に襲われたときの護身術が居合い、最初から両者が刀を抜いて始まる決闘は立ち合い)

その後、竹刀と安全な防具による、剣道が流行るのですが
道場としては、剣・柔・槍、他を、ばらばらに門下に教えたほうが
経営面で有利などの事情で(または、西洋の学問のように、専門分化するべき、という思想)
剣士は、剣で戦わなければ卑怯、というイメージに繋がったと思います

が、私は個人的に、武蔵さんを
とりあえず、勝負したい!オラ強えヤツらと勝負してえだ!
な、少年漫画の主人公のようなタイプであったと思います

・生きる戦いから、武芸者へ

少年時代は生きるために仕方なく戦ったのでしょう
卑怯なこともしてます(ガキに武器使うのか!と挑発して、自分は武器を使う)

ですが、もし、勝つために策を練るタイプならば
なぜ、鉄砲を使わないのでしょう?
60回以上も、命をかけて戦う必要はなかったはずです

鎖鎌の達人、武蔵と戦ったという
宍戸梅軒にいたっては創作の可能性もあります
イメージは、かなり作られてます

敵に襲われる、と恐れて、風呂に入らなかった
たぶん、これもウソです
関ヶ原の闘いを、生き抜いた人です
不衛生が、体に、悪い影響を与える、
そんなこと、経験則で、学んでいるでしょう
(戦国時代には、井戸に糞尿を入れて飲み水にダメージを与えるとか、熱した糞尿をかけるとか、ありました。汚いだけでなく、傷口や飲み水から、雑菌が入ると、感染症の恐れがある。)

戦い、は当時の武芸者のコミュニケーションといってもいいです
戦国が終わり、武芸者より、学者肌な人がどんどん出世していく
そんな中で、己の武術を高めた兵法者は、
せっかくの努力も、発揮する場所はなく
どうにか、自己表現の場を求めたでしょう

もっとも、憧れなのは、藩の剣術指南役
給料・名誉、そして得意技で、生きていける
でも、すべての兵法者に、その道があったわけでなく

当時は、テレビもなく、本もたくさんあったとはいえない
体験、伝聞、が情報のすべて、といってもいいほどに
情報に飢えていた、特に、武芸者は、
ライバルたちがどんなに強いのか、どんな技を使うのか、見てみたい

例え、命がかかっても
互いの、了解の下、全力を出したい

試合とは、試しあい、互いの命を、技を試しあう


そして、武蔵が生み出した兵法(刀限定ではないです)
二天一流、これ、すごいです
(ちなみに武蔵さんは、円明流という一刀剣術も伝えてます)

東南アジア(エスクリマ・カリスティック)や、中国の武器術、沖縄の唐手(空手の名前が使われ始めたのは昭和に入ってから)
二つの武器を同時使用する武器術は、
同じ長さの武器を、同時に使い、手数と変化の組み合わせで戦います

変化や組み合わせが違いますが、根本的に同じ武器を両手でそれぞれ使う、共通点があります

たとえば、日本にも天道流という流派には二刀の技もありますが
太刀と小太刀(脇太刀を使う流派もある)同じ刀を使う術で少ないです
(稀に、小太刀二刀流がある)
また、稀に、小太刀を投げつける流派もある


・二天一流とは?

二天一流とは、片手での剣の操作を修める術
馬に乗って、手綱を持ち、あいた手で刀を使う
日本刀の反りは、馬上からの片手きりに対応するために生まれた
片手で使うことも修練するのが、本道である

腰にある、刀は二本
二本をとって、扱うが、同じ長さでない、
ならば、役割は違う

槍は、長いから、突いたり、払ったりが有利
上から叩きつけるのは、4メートル以上の槍で、何人もの味方が横に並んだ状態でしか使わないです
だが、懐に入られると不利

刀を二本持っても、短い刀で切りつける間合いでは、長い刀は扱い辛い
同じく、長い刀で戦う間合いは、短い刀で戦えない
二つの異なる性質を、一つの目的に用いる

二つの天、昼と夜、まったく異なる天(そら)を
一つにする、二天一流は、ただ、大小の刀で戦うものではない

天は、変わる、曇り晴れ、さまざまに
短いから、守りと決まらない
長いから、攻撃と決まっていない
だが、どのような変化をしても、一つに使いうる

この剣理を、導き出したのは、おそらく
世界唯一のものであると思います
ですが、武蔵さんは、実践で二刀は、
多人数を相手にする時以外は、不利と、残してるとか

おそらく、足元を何らかの方法で崩されたときに、
二刀では、受身を取りづらいからであると思います

ちなみに、日本剣術は、手数では他国の剣術に不利です
というのも、日本刀は切れすぎる、一撃で致命傷になりうる

しかも結構、重いので、そう何度も振れない
一撃をもらうわけにはいかないので、慎重に、最初の一撃を出さなきゃいけない

その分、見切りや、間合い、攻撃以外の攻めの技術が発展しました


この性質を利用したのが、佐々木小次郎さんです、、
(長すぎ、、またいつか書きます)

巌流島の決闘のお話、たぶんこれが最後

関連記事?
赤と、火星と、戦神
七夕ですねー

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コメント
この記事へのコメント
 おお、まさにコラム。
 知識が過去を明るくするとは良く言ったもので、ひとつひとつは何て事の無い知識が集まった時に過去の時代を色鮮やかに蘇らせるみたいですよね、と言うとちょっと格好つけすぎでしょうか(笑。
 こういう記事も実に面白かったです。小次郎編? も楽しみにしています。

 武蔵と小次郎の創作で心に残っているものといえば、三谷幸喜の「巌流島」って舞台作品でしょうか。もう十年以上前にNHKで放送されていたのを観て、面白かったという記憶のみが今に受け継がれております。DVDにもビデオにもなってないんですよね。残念。
2008/07/30(水) 03:36:12 | URL | くりふじ #EBUSheBA[ 編集]
今晩は。力作ですね。
<試合とは試しあい。>スポーツの試合は、武器による間合いの手数と有効のポイント制。一撃の瞬間を待っての<命を賭けた果し合いに果てし合い。> 自己表現と自己実現、社会認知・・・分かる気持ちがします。でも、怖いですね。年齢による反射神経・運動、運動能力・瞬発力・集中力・持久力の衰えに伴って、人は何を思う。動から静へ、独自から普遍を求めて、生物の強者優位の『修羅の現場』から知と云う哲学への『道』へ。

生きる、生かす、伝えるを善とするならば、『道』が好いに決まっている。道の哲学が、前提・理想の社会なら、<人は修羅の現場から救われる。> 道の先に、安定の世界が得られる。
喧嘩は怖いですよ。激痛が繰り返されますよ。勝っても、心が切ない叫びを上げますよ。悲惨ですよ。喧嘩をするには、<決心と覚悟>が要りますよ。

毎日繰り返される通り魔の刃傷・殺傷沙汰、正に狂気の大気汚染の沙汰です。
肉体の痛さと精神の痛さは、何も事件を起こして、塀の中でしか味合う事が出来ないんでしょうか・・・ 何故、現代人は自ら進んで、安易に犯罪者に為らなければ、為らないのでしょうか・・・ 馬鹿な私には、分かりません。
2008/07/30(水) 22:20:19 | URL | アガタ・リョウ #-[ 編集]
こんばんわ、コラムの皮を被った何かです。

> 知識が過去を明るくするとは良く言ったもので、ひとつひとつは何て事の無い知識が集まった時に過去の時代を色鮮やかに蘇らせるみたいですよね、と言うとちょっと格好つけすぎでしょうか(笑。

Oh、名言ですねー、ノー、タコハダメデース←錯乱。
武オタの知識でもたまには書いてみるものです、、

>こういう記事も実に面白かったです。小次郎編? も楽しみにしています。

ありがとうございます、、今日は、、気力とか、ガッツが足りない、。ので、武蔵さんの補足、と他の武芸者を少し。。

>武蔵と小次郎の創作で心に残っているものといえば、三谷幸喜の「巌流島」って舞台作品でしょうか。もう十年以上前にNHKで放送されていたのを観て、面白かったという記憶のみが今に受け継がれております。DVDにもビデオにもなってないんですよね。残念。

NHKってたまに、すごい面白い、高クオリティな番組あるんですよね。



>アガタ様

>今晩は。力作ですね。

書いてたら、なにか長くなってしまいました。

>自己表現と自己実現、社会認知・・・分かる気持ちがします。でも、怖いですね。年齢による反射神経・運動、運動能力・瞬発力・集中力・持久力の衰えに伴って、人は何を思う。動から静へ、独自から普遍を求めて、生物の強者優位の『修羅の現場』から知と云う哲学への『道』へ。

 映画、ランボーのテーマ、戦争で必要とされたはずの自分が本国へ帰ると厄介者扱い。戦国時代が終わる頃の兵法者にも、同じような、“どう生きていけばいいのかわからない”世の価値観の転換があったと思います。
 今回のテーマ、武蔵さんは、29歳までに60回以上の決闘をしてます。それ以降は何故、命を奪い合う決闘を控えたのか?小次郎さんとの決闘で何かあったと見るのが妥当であると思います。
 奪うこと、奪い合うことをやめ、仏道を信じぬ修羅が、晩年、達磨を絵に残していく、その心境を書いてみたいと思います。

>生きる、生かす、伝えるを善とするならば、『道』が好いに決まっている。道の哲学が、前提・理想の社会なら、<人は修羅の現場から救われる。> 道の先に、安定の世界が得られる。
喧嘩は怖いですよ。激痛が繰り返されますよ。勝っても、心が切ない叫びを上げますよ。悲惨ですよ。喧嘩をするには、<決心と覚悟>が要りますよ。

 恩師(武術とかの)にもよく言われました。人を殺めるために生まれた術が、人を育てる道となった、誰かの命を奪って栄えた術が、人が進む道となった、絶やさぬよう、誤らないよう。できるからヤル、という獣の世界ではダメだ、殺す業を身につけても、身体という武器が近くにあっても抜かないこと、鞘を心に、節制の道を。

>毎日繰り返される通り魔の刃傷・殺傷沙汰、正に狂気の大気汚染の沙汰です。

 矛を止める、と書いて、武。
刃の威力に、心を奪われ酔い、暴れる者、それを物理的に止めること、私たちには難しいです。心に鞘を宿すことにより止まる修練を伝えなきゃいけないと思います。鞘をもてなきゃ、刃は重いだけです。

>肉体の痛さと精神の痛さは、何も事件を起こして、塀の中でしか味合う事が出来ないんでしょうか・・・ 何故、現代人は自ら進んで、安易に犯罪者に為らなければ、為らないのでしょうか・・・ 馬鹿な私には、分かりません。

想像力の欠如、他者の痛みを感じる共感力の欠如。
 未熟だからこその万能感、それを持ち上げ煽る社会。足りているもの以上を望む一部の特権階級。社会の固定化された構造を身をもって知った弱者は、きっかけがあれば、暴れてしまう。テレビで方法を教わり短絡的に実行する。

 学校では、夢を教えられます。でも、夢の先は教わりません。夢のあきらめ方、夢の到達後の生き方。
生き方に悩むのは、自由の証。命がかかっている貧困下では、生き方について悩んでいる時間はない。
 自由が制限されているなら自由とは何か、という議論が起こる前に自由を求めるという行動に出るでしょう。生きる環境が整い、自由があり、恵まれている現代。ただ、生きるだけなら、何もかもそろっている現代、ただ生きるだけならまるで社会に飼われているような無思考状態になってしまう。思考を自己内で完結させようとすると、どうしても破綻してしまいます。でも、繋がることを、極端な個人主義が邪魔をする。バラバラの個が、孤独です、周りを見たら、流されている無思考の大衆が見える。大河に一人残された気分でしょう、でも独りで歩まなければいけないときもある。

 大きくなってからでは、誰の言うことも聞かなくなるので、せめて児童のうちに、ある程度我慢することを覚えていくことが、近道な気がします。

たぶん私もあまりできてません、、
2008/07/30(水) 23:40:13 | URL | 管理人です #-[ 編集]
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